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当たり前の価値観は当たり前?

2021年2月13日 (土)


こんにちは!菊地です(*^^)v

 

今日は気温が10℃近くまで上がり、僕が住む大館では気温差が20℃近くあったようです。

20℃って季節が変わるようなもんですよね( ゚Д゚)

季節の変わり目にもほどがありますが、皆さんも体調にお気をつけください。

 

 

さて、皆さんは「一生懸命」という言葉を聞いてどんなイメージをもちますか?

菊地はとりあえずプラスの印象をもちます。

「汗水流して向かっていく姿がかっこいい」とか「まっすぐな信念をもって強い」みたいな印象です。

 

 

そういえば、自分が高校野球に打ち込んでいるときのことを思い出します。

僕の高校では練習で着るユニフォームの背中には苗字、前身には名前と「座右の銘」みたいなのを書くことになっていました。

そこにまさに「一生懸命」という言葉を書いていました。

ユニフォームを買い替えても必ず「一生懸命」と。(買い替えれば変わる人もいる中で)

 

 

「一生懸命」をいいものとして捉えていたのですね。

むしろ一生懸命の何が悪いの!?という感覚があったし、今でもまだあります。

 

 

でも、ここ数年、ついに揺るぎない「一生懸命」への想いがぐらぐらと揺れています。

僕は気づけば物事に打ち込む(変に集中しすぎる)タイプです。

自分がきつくても絶対にやりとげる!と諦めが悪く、ついつい無理をしてしまいがちです。しかも何事にも一生懸命取り組むタイプだから余計に削られます。

 

 

 

もちろん一生懸命やってうまくいくこともあります。

というか、回りから見れば「菊地はだいたいうまくやれてる」感じもあると思います。

 

 

 

でも、自分の中では日々一生懸命になり過ぎて、うまくいくこともある反面、心身をすり減らす傾向にあるのだと思います。

我慢して我慢して、たまにプツンと糸が切れるときもあります。

そんなときにふとこう思います。

 

 

 

「あれ、何でこんなにすり減るまで一生懸命やってるんだろ。」

 

 

 

と。

 

「なぜこんなに一生懸命頑張っているんだろ?」なんていう疑問は、昔の自分はもったことがありません。

だって一生懸命やるのが当たり前だし、いいことに決まっていると信じていたから。

 

 

でも自分が体調を崩した過去や今の生活を考えたときに、そんな疑問がふと湧いてくるようになりました。

一生懸命って本当にいいこと…?

 

 

はっきりいって「一生懸命ではない自分」は想像できません。

どうすればそんな自分になれるのかも今はわかりません。

そして一生懸命ではなくなった自分には何が残るんだと?という不安もあります。

 

 

自分が一生懸命になる理由もここ数年色々考えています。

おそらく、(前のブログにも書きましたが)「こうあらねば」という気持ちが強いのかなと。

一度(自分からすると)大きな挫折を味わい、なおさら「人生に大きな意味」を見出そうとしているのではないかと感じます。

 

 

そして毎日漠然とした理想に向かって「一生懸命」走っているのだと思います。

当然ですが、たった何日、何か月一生懸命やったからといって大きな成果は得られません。

でも、そこに焦りや不安を感じているのでしょう。

 

 

「一生懸命」というこれまで当たり前だった価値観で苦しくなっている可能性がある今、本当にそれが当たり前なのか疑ってみる、変えてみる必要があるのかなとも感じています。

 

 

日々のモヤモヤが溜まりがちな最近ですが、先日2歳の息子を連れてソリ遊びをしてきました。

正直「家で休みたいなぁ」という気持ちもありましたが、まず適当(←)に(多分そのときは一生懸命ではなかったはず)一緒に遊んでいました。

 

大館のドームの裏にわりと大きい坂があって、そこから息子とヒューーーーーー!と滑りおり、「わーーーーーーー!はやいーーーーー!」と叫びながら滑るのを繰りかえしました。

単純な遊びでしたが、終わった後にやけに気持ちがスッキリしていることに気がつきました。

 

 

気持ちがすっきりした瞬間には「なぜだろう?」と考える癖があります。

多分そこに生きやすさのヒントがあるので。

 

 

息子とのソリ遊びでは何か理想を求めて一生懸命は滑っていません。

はっきりいって適当に遊んでいました。(←(‘Д’))

思うように声を出して、思うように笑えました。

 

 

惰性で遊んでいてすっきりした。

もしかしたら何も考えないこの「適当」が今の自分には必要…?(;・∀・)

 

「一生懸命」と「適当」は意味的には相反する印象ですし、正直よくない印象を抱いていました。

 

でももしかしたらその「適当」が大切なのか…!!

 

今思い返すと「真面目過ぎるよ。もっと適当にやれよ。」とか「6割くらいでなんとかなるって。」という言葉を数多く言われてきた気がします。

 

 

でも「適当でいいわけがない」「手を抜いていいはずがない」という気持ちの方が強かったと思います。

というか今でも「手を抜くって具体的にどうやるの?」「6割ってなにーーーーーーー!?」という理解のできなさの方が大きいです。

 

 

それに一生懸命やる大切さもあるだろうし、それは今後ももち続けていきたい(というか捨てられない)と思います。

でもクタクタにすり減るまで一生懸命に囚われる必要があるかは考えものです。

クタクタになりたくはないので(笑)

 

 

まだ「適当さ」を微塵も理解できていないのであれですが、生きやすさについて人生を通して考えていきたいと思います。

今はいつの間にか「このブログでいいこと書かなきゃ」と一生懸命になりそうなので、そろそろやめておきます(笑)

 

 

もし日々色んなことでクタクタになりやすい人は、自分が当たり前にしている行動、信じている価値観が「本当に当たり前?」と疑問を投げかけてみてもいいかもしれませんね。

 

長々と失礼しました。

ではまた次回のブログで(‘◇’)ゞ

 

P.S

あまりクタクタだと書くと「スタッフなので大丈夫?」と不安や心配をもつ人がいるかもしれないので、菊地はわりかし元気ですと伝えておきます。

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